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大阪地方裁判所 昭和40年(ワ)2140号 判決

原告

矢野高次郎

ほか一名

被告

渋谷襄

ほか一名

主文

一、被告らは各自、原告らに対し各金六、〇五五、八〇三円宛、および右各金員に対する昭和三九年一〇月五日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三、訴訟費用は四分しその一を原告らの、その余を被告らの各負担とする。

四、この判決第一項は仮りに執行することができる。

五、但し、被告らにおいて各自、原告らに対し各金四、八〇〇、〇〇〇円宛の担保を供するときは、右各仮執行を免れることができる。

事実

第一、申立

被告らは各自、原告らに対し各金九、〇〇〇、〇〇〇円宛およびこれに対する昭和三九年一〇月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

第二、請求原因

一、本件交通事故発生

昭和三九年一〇月三日午後一〇時三〇分頃、枚方市三矢官有無番地大阪府枚方警察署先国道一号線上において、被告渋谷は軽四輪貨物自動車(登録番号六大せ六三二六号、以下事故車という)を運転して東進してきたところ、右斜前方(事故車の進行方向に向つて)に進行させ、右道路南側を西方へ歩行していた矢野博孝に事故車を衝突させて路肩から道路下に転落させ、そのため同人を脳震盪兼頭蓋底骨折により九時間後枚方市立協立病院において死亡させた。

二、被告らの責任原因

被告らは各自左の理由により原告らに対し後記損害を賠償すべき義務がある。

(一)  被告株式会社寺岡商会(以下被告寺岡商会という)

根拠 自賠法三条 民法七一五条一項

該当事実 左のとおり。

(1) 事故車は訴外大阪金銭登録機株式会社が所有するものであるが、同株式会社は被告寺岡商会と同族傍系の関係にあり、右両会社の本店および営業所の所在地ならびに各所有する自動車の保管場所はいずれも共通で、しかも右両会社は相互に双方の従業員をして営業上の必要に応じ各所有する自動車を適宜使用させ合つていた。

(2) 被告寺岡商会は被告渋谷を雇傭していたところ、本件事故当時被告渋谷はその業務執行のため事故車を運行しており、後記(二)の如き事故車運行上の過失があつた。

(二)  被告渋谷

根拠 民法七〇九条

該当事実 左のとおり。

被告渋谷は飲酒してハンドル操作を誤り、および前方不注視ならびに右側通行の各過失があつた。

三、損害の発生

(一)  逸失利益

博孝が本件事故によつて喪失した得べかりし利益は別紙(一)損害算定表記載のとおりであるが、その算定上特記すべき点は次のとおりである。

博孝は昭和一四年四月七日生で死亡当時満二五才であり、本件事故にあわなければなお四四年生存することができた筈であるが、昭和三三年三月大阪府立茨木高等学校を卒業後三洋電機株式会社に入社し、事故当時は同株式会社本社淀川工場製造部に勤務していたので満五八才の停年に達する迄同株式会社において勤務し、勤務成績優秀であつたからその間昭和四五年四月に係長に、同五〇年四月に課長に、同六〇年四月に部長に順次昇進し、昭和三九年一〇月から昭和四〇年三月迄は給与(前記表(一)の基本給欄)一ケ月二五四五二円、賞与六二、九七〇円の所得を得、その後基本給は五八才に達する前月である昭和七四年三月迄(昭和七二年三月の違算)前記表(一)中基本給欄記載の如く昇給し、賞与は毎年基本給の五ケ月分を支給されるが、係長に昇進する昭和四五年四月からは係長手当として一ケ年に基本給の〇・五ケ月分、課長に昇進する昭和五〇年四月からは更らに課長手当として一ケ年に基本給の〇・五ケ月分、部長に昇進する昭和六〇年四月からは更らに部長手当として一ケ年に基本給の一ケ月分が順次賞与に加算され、満五八才に達し停年退職する際には八、九九五、〇〇〇円の退職一時金を得ることができた筈で、博孝の個人生活費は収入の五〇パーセントを超えないから、前記退職一時金を除き各年度の総収入額の五〇パーセントにあたる額が博孝が当該年度に挙げ得た筈の収益となる。

そこで、これを博孝の死亡した昭和三九年一〇月四日における一時払金額に換算するためホフマン式計算方法により、年毎に年五分の割合による中間利息を控除して右三三年六ケ月分を合算すると二四、九八六、二四四円となり、博孝は右同額の損害を受けた。

(二)  精神的損害(慰謝料)

博孝は年も若く勤務成績優秀で将来を嘱望されていたのに本件事故により死亡するに至り、多大の精神的苦痛を受けたので、同人に対する慰謝料は、三、〇〇〇、〇〇〇円を相当とする。

(三)  原告らの権利の承継

原告らは博孝の両親として、博孝の死亡により、同人の被告らに対する右(一)(二)の損害賠償請求権を各二分の一(一三、九九三、一二二円)宛相続により承継した。

四、本訴請求

以上により、原告らは被告ら各自に対し右三(三)の内金各九、〇〇〇、〇〇〇円宛およびこれに対する昭和三九年一〇月五日から支払ずみ迄年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、答弁

一、請求原因一中被告渋谷が原告ら主張の如き日時および場所において事故車を運行し右斜前方に進行させたこと、および博孝が死亡したことは認めるがその余の事実は否認する。被告渋谷は事故車を博孝に衝突させ跳ね飛ばしたことはなく、仮りに博孝が自動車に跳ね飛ばされて死亡したものであれば、事故車と反対方向から進行してきた貨物自動車によるものである。

二、請求原因二(一)(1)中事故車は大阪金銭登録機株式会社の所有に属することのみ認め、その余の事実を否認する。同二(一)(2)中被告寺岡商会が被告渋谷を雇傭していたことのみ認め、その余の事実を否認する。同二(二)の事実を否認する。

三、請求原因三はすべて不知。

第四、抗弁

一、正当防衛

仮りに博孝の死亡が事故車との衝突に基くものとしても、被告渋谷の事故車の運行は正当防衛に該当する。

被告渋谷は事故車を運転し京都方面に向けて進行して本件現場附近に差しかかつた際、反対方向から進行してきた大型貨物自動車が突然中央線を超えて突進してきて事故車に正面衝突する切迫した危険が生じたが、事故車の停止または徐行の措置を採れば右貨物自動車に衝突され粉砕されるおそれがあり、左転把の措置を採れば道路左側に沿つた淀川の河中に転落することが明白であつたから、右貨物自動車の無謀な運行に対し自己の生命を防衛するためやむを得ず事故車の右転把の措置を採つて博孝に衝突させるに至つたものである。

二、過失相殺

仮りに右主張が認められないとしても、博孝は道路右側を通行しなければならないにも拘らず、道路左側を通行していたため本件事故が生じたのであるから、損害額算定につき博孝の右過失を斟酌すべきである。

第五、抗弁に対する答弁

一、抗弁一は不知。仮りに被告ら主張の如く進行してきた貨物自動車があつたとしても、被告渋谷において一時停止若しくは道路左側への避譲等の措置を採れば右貨物自動車との衝突を避け得た筈で、従つて同被告の採つた右転把の措置はやむを得ない行為とは言えない。

二、抗弁二の博孝が左側通行していたことは認めるが、博孝は前方約二〇米の道路南側端にあるバス停留所に向つていたものであり、過失相殺するのは相当でない。

第六、証拠 〔略〕

理由

一、本件交通事故発生ならびに被告渋谷の過失の有無に対する判断

(一)  〔証拠略〕を綜合すれば次の如き事実が認められる。

(1)  本件道路は東西に通じ、本件現場附近において西から東に向いわずかに左にカーブしているが見通しは良好で、中央線があり、道路幅員はアスフアルト舗装部分約一一米、その北側の路肩部分二米、南側の路肩部分三・五米で、道路北側は淀川の河原、南側には道路に沿つて幅員〇・七五米の溝がある。

(2)  被告渋谷は昭和三九年一〇月三日午後七時三〇分頃から日本酒を銚子二本分を飲み酔がまわつている状態で同日午後一〇時三〇分頃事故車を時速四〇粁位で運転し本件道路東行車道中央線寄りを東進し本件現場附近に差しかかつた際、対向してきた大型貨物自動車の前照燈に眩惑されて前方を注視することが困難となるとともに酔がまわつていたところから右貨物自動車が中央線を超えて直進してくるものと誤信し、事故車を中央線を超え西行東道に進入させ右貨物自動車の南側を通過し、右の如く前方を注視するのが困難な状態のまま右斜前方(事故車の進行方向に向つて、以下同じ)へ約七一米暴走させ、事故車は道路南側路肩から転落したが回転もしくは横転せずに道路下ぎわの金網に衝突して停止した。そして被告渋谷は博孝には全く気付かなかつた。

(3)  博孝は事故車の西方五・五米の地点の溝上に転落して東向きにうつ伏せに倒れていて、その四・七米西方に同人の靴が、さらにその二・七米西方(事故車の転落停止地点から一〇・三米西方)に博孝の所持していた紙製大型封筒が事故車から脱落した同車の右前バツクミラーの鏡部分の上にかさなつた状態で落下していたが、本件全証拠によるも右鏡部分が附近に存する電柱を支える鉄線に触れもしくは事故車の転落自体によつて脱落したものとは認め難く、なおまた事故車は前部が破損している。

(4)  事故車の転落停止地点の西方約二〇米の道路舗装部分南側ぎわに京阪バス停留所があり、博孝は高槻市芥川に居住していたことおよび同人の前記転落地点を併せ考えると、博孝は道路南側端を右停留所に向い東から西へ向つて歩行していたものと推認され、また博孝は前額部、右側胸部、左右両上下肢等の打撲擦過傷、脳挫傷、前頭骨右側および広汎なる頭蓋底骨折、右肋骨骨折、右腎臓破裂等の損傷を受け、特に脳震盪兼頭蓋底骨折のため昭和三九年一〇月四日午前七時二〇分頃枚方市協立病院において死亡するに至つたものであるが、前記各傷害は大なる鈍体的外力作用によつて生じたもので、交通災害の場合に最も多く見られ、具体的には車体によつてはねられた際の受傷と認めるのが相当と解される。そして、被告渋谷は何ら傷害を受けておらず、博孝は顔面等から出血していたところ、事故車の前部ウインドーの右上車体部分に長さ一糎、幅一糎弱の範囲で血液が附着していた。

(二)  以上認定の事実に基づけば、被告渋谷は事故車を時速四〇粁位で運転し本件道路東行車道中央線寄りを走行し本件現場附近に差しかかつた際、折から対向してきた大型貨物自動車の前照燈に眩惑されて前方注視が困難となつたのであるから、事故車を道路左側に寄せるとともに徐行して視力の回復を待つべきであつたにも拘らず、前方注視が困難なまま、右貨物自動車が中央線を超えて進行してくるものと誤信し前記速度のまま事故車を西行車道に進入させ右斜前方に暴走させた過失により、折から事故車前方の道路南端を西に向つて歩行していた博孝に事故車前部を衝突させそのため前示の如く博孝に傷害を負わせて死亡させたものと認められる。ところで、〔証拠略〕によれば、事故車の転落停止地点の東方約一〇米に大阪府枚方警察署があるところから事故車の転落直後同警察署の警察官が現場に赴き被告渋谷を伴つて右警察署に引き返し、約一〇分後右警察官と被告渋谷が再び現場に赴き探照燈で照射した際、博孝および同人の所持品等ならびに事故車の右前バツクミラー鏡部分が前示の如き状態で存するのを発見したことが認められるが、右甲九号証によれば右警察官は最初現場に赴いた際深夜に近く被告渋谷も事故車を博孝に衝突させたことに気付いていなかつたところから本件事故の発生を予想せず事故車周辺を調査しなかつたことが認められ、また本件全証拠によるも事故車以外の車両が博孝に衝突したことを疑わしめる痕跡等を認められないので、右事実も未だ前認定を覆えすに足りず、〔証拠略〕中前認定に反する部分は容易に措信し難く、他に前認定を左右するに足る証拠はない。

そこで被告渋谷は民法七〇九条に基づく過失責任がある。

二、被告寺岡商会の責任原因

事故車は訴外大阪金銭登録機株式会社(以下訴外会社という。)の所有に属することは当事者間に争いがないところ、〔証拠略〕によれば、被告寺岡商会と訴外会社は本店が同一建物内にあり、右両会社の代表取締役および専務取締役は各同一人が兼務しているところから、被告寺岡商会は訴外会社の承諾を得て事故車を日頃同被告の営業のために使用しており、また被告渋谷を販売員として雇傭していたが、本件事故当日被告渋谷は被告寺岡商会の承諾を得て帰宅のため事故車を運行中であつたことが認められる。

そこで右事実に基けば被告寺岡商会は事故車の運行を支配しその利益の帰属する地位にあつたものと解せられる。

三、被告らの正当防衛の抗弁に対する判断

事故車が本件現場附近に差しかかつた際対向進行してきた大型貨物自動車が突然中央線を超えて突進してきたとの被告らの主張に添う甲七号証および被告渋谷本人尋問の結果は、前示の如き本件道路の状況および被告渋谷は酔のまわつた状態で事故車を運転していた事実に照らすと容易に措信し難く、他に被告ら主張の右事実を認めるに足りる証拠はない。よつて被告らの正当防衛の主張は採用し難い。

四、損害の発生

(一)  逸失利益

博孝が本件事故によつて喪失したと認められる得べかりし利益は別紙(二)損害算定表記載のとおりであるが、その算定上特記すべき事項は次のとおりである。

(1)  〔証拠略〕によれば、博孝は昭和一四年四月九日生れの男子で昭和三三年三月大阪府立枚方高等学校を卒業し、同年四月三洋電機株式会社(以下三洋電機という)に入社し冷蔵庫事業部淀川工場製造部第三作業課組立係に配置され、昭和三六年に配置転換されて本件事故当時は右製造部生産管理係に勤務しており、普通健康体であつて、枚方高校在学中の成績は三年間を通じ三八人中二番であつたが第三学年において評価五を得たのは一〇科目中三科目(理科、工業機械製図、機械設計)であつたこと、および三洋電機における勤務成績は入社以来最優秀に近いものであつたことが認められる。

(2)  〔証拠略〕によれば、三洋電機は大企業でその内部機構としていわゆる事業部制を採用し、その一である冷蔵庫事業部は淀川工場と企画部に二分され、淀川工場には五の部があり、冷蔵庫事業部を通じて合計一五の課が存し、停年は五八才に達した時で、その賃金体系は従来年功序列賃金によつていたが昭和四二年四月から仕事熟練度別賃金制度(以下仕事別賃金制度という)を採用し、係長以下の一般従業員が従事している仕事をその性質と高さにより系列とグループに格付けし、この仕事グループと仕事グループ内での熟練度区分に応じ、年令、勤続年数に拘りなく同一熟練度に属する者には一定賃金を支給し、これら仕事グループ等はまた賃金の基準に止まらず社内での処置、役職位への基準を示すもので、その分類は、(イ)O系列(オペレイテイブワーク………生産部門での技能職、監督職)、(ロ)C系列(クリヱイテイブワーク………事務・技術部門の高度の仕事)、(ハ)R系列(ルーテインワーク………定型的事務)とし、R1から始つてR3に至り、その上段階としてO系列とC系列が並存し、C系列はC4とC5のグループに分け、熟練度区分として、C4はC4-1から始つてC4-5に至り、C5はC5-1からC5-5に至るもので、その際経験年数に応じ上位の熟練度区分に昇進し、一区分昇進するにつき要する経験年数は、C4グループではC4-1からC4-5に達するまで最短の場合各一年宛を、標準の場合は各二年宛を要し、C5グループでは最短の場合C5-1からC5-3まで各二年宛C5-3からC5-5まで各三年宛、標準の場合C5-1からC5-3まで各四年宛C5-3からC5-5まで各五年宛を要し、C4は共同作業の総括職務、C5は係長およびこれに準ずるもので、なおC4-4から直接C5-1へ昇進し得るもので、熟練度の判定は五の評価要素に基づく点数法によつて行ない、具体的な熟練度区分の運用は学令二五才以上からとし、昭和四二年四月における仕事別区分の導入の際には過去の考課を考慮し学令を基準にして区分への格付けを行うこととし、そして係長はC5グループでの経験年数一年以上の者から事業場長の推薦により人事部長が決定し、課長はC5-3以上に格付けされ係長の経験年数四年以上の者を対象に「課長昇進選考」を行いその合格者中から一年の候補期間を経て任命するが、現在までに右試験が行われたのは一回だけでその時の受験者は約六〇〇人で内合格者は約五〇人にすぎず、しかも課長に昇進させるのは試験の点数のみによるのではなく、その他の諸要素を綜合配慮して決定することが認められるけれども、右考慮される諸要素の内容および部長に昇進するに必要な諸条件を認めるに足りる証拠はない。

そこで以上の事実に基づけば、博孝は本件事故にあわなければ満五八才に達する昭和七二年四月八日まで三洋電機に勤務し得た筈で、同社に仕事別賃金が導入された昭和四二年四月には二七才に達するから、従来の職務内容、勤務成績等からすればC4-3に格付けされ、その後一年を経てC4-4に進み、さらに一年を経てC5-1に進み、一年の経験を経た昭和四五年四月には係長に昇進した筈であると認められる。しかしながら、博孝の前示勤務ならびに学業成績からするも、これらの評価の対象・範囲と係長の職務内容等とは必ずしも同一ではないと解せられ、ならびに前示の如き課長および部長の昇任制度に照らすと、博孝が係長として最優秀な能力を有し且つ業績をあげ、昭和五〇年四月には課長に昭和六〇年四月には部長に順次昇進した筈であるとの原告らの主張に添う〔証拠略〕によれば三洋電機冷蔵庫事業部において旧制中学校卒業の学歴を有するのみで副部長若くは課長の職にある者が存することが認められるけれども、右事実から直ちに前記原告ら主張事実を認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。従つて博孝は係長に昇進後は標準の年数によりC5-5に至るまで熟練度区分を昇進するにすぎないものと認めるのが相当である。

(3)  〔証拠略〕によれば、三洋電機における昇給は、年功序列賃金制度の下では毎年四月に、仕事別賃金制度の下においてはベースアツプ若しくは昇進に伴い四月に行なわれることが認められるところ、将来の稼働による得べかりし利益の算定はつまるところ将来の予測に基礎づけられ蓋然性の域を出でないもので且つ数額の算定にあたつてはできるだけ控え目にこれを行なうべきであり、また後記の如く昭和三九年四月五日当時の博孝の得べかりし利益の現価を算定するため中間利息を年毎に控除するにつき毎年四月に昇給するものとすれば正確簡明に中間利息を控除して得べかりし利益の現価を算定することは極めて困難であること(いわゆるホフマン係数表の数値をそのままでは用いられない)からすれば、前記昇給はいずれの場合も六ケ月繰り下げ毎年一〇月に行なわれるものとして算定しても蓋然性を失わず、却つて計算上便宜で合目的であると解せられる。

そこで〔証拠略〕によれば、博孝は昭和三九年一〇月(なお本件事故は昭和三九年一〇月三日に生じたものであるが弁論の全趣旨により博孝は本件事故のため同月分の給与を全く支給されなかつたものと認められる)から昭和四〇年九月までは毎月二五、三〇七円の給与を得、同年一〇月から昭和四六年九月までは毎年一〇月に昇給し別表(二)損害算定表中「給与欄」記載の如き給与を支給されるものと認められるが、前掲甲一五号証によるも博孝が前示の如く係長に昇進後C5グループの熟練度区分を標準の経験年数により昇進した場合の各熟練度区分における給与およびベースアツプ額若しくはその他の昇給額の推移を的確に認めるに足りず、他に右事実を認めるに足りる証拠はないので、昭和四五年一〇月から原告らの主張する年限である昭和七二年三月末までは一ケ月五七、〇〇〇円宛の給与を得ることができたものと認めるほかなく、また賞与は毎年七月と一二月にいずれも給与の少くとも二・五ケ月分宛一ケ年合計給与の五ケ月分を下らない額を支給され、係長に昇進する昭和四五年一〇月以降は右賞与に年間、給与の〇・五ケ月の係長手当を加算され、なお別表(二)損害算定表中昭和七一年一〇月から同七二年三月までの間の賞与は昭和七一年一二月分の賞与と係長手当合計給与の三ケ月分を支給され、停年に達して退職するとき退職時給与一ケ月五七、〇〇〇円の三二・五ケ月分にあたる一、八五二、五〇〇円の退職金を支給されることが認められる。

博孝の前示職業、収入等を併せ考えると同人の個人生活費は事故後五八才に達するまで三五年間その各収入の五〇パーセントを超えないものと認めるのが相当であるから(但し退職金を除く)、博孝は右期間中各収入からそれに対応する五〇パーセントの生活費を控除した残額相当の純収益を得ることができた筈であると認められ、右逸失利益額から年五分の割合による中間利息をホフマン式計算により控除して昭和三九年一〇月四日当時の現価を算定すると別紙(二)損害算定表記載の如く合計九、一一一、六〇七円(但し円未満切捨、以下同じ)となり、博孝は右同額の損害を受けたものと認められる。

(二)  精神的損害(慰謝料)

前示の如き本件事故の態様、博孝の受けた傷害の内容、事故当時の年令、職業および勤務状態、および原告静本人尋問の結果により認められる博孝は独身であつた事実ならびに本件全証拠によつて認められる諸般の事情を斟酌すると博孝に対する慰謝料は三、〇〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。

(三)  原告らの相続

〔証拠略〕によれば原告らは亡博孝の父母として同人の被告らに対する右(一)(二)の損害賠償請求権を相続により各二分の一(六、〇五五、八〇三円)宛承継したものと認められる。

五、過失相殺の抗弁に対する判断

亡博孝が道路左側(同人の進向方向に向つて)を通行していたことは当事者間に争いがないが、前示一(一)(4)の如く博孝は道路南側端を通行していたものと認められるので、右事実と前示被告渋谷の過失の内容、程度に照らすと、亡博孝の道路左側を通行した過失は被告渋谷のそれに比して極めて軽微であり、これを本件損害賠償額算定につき斟酌しないこととするのが相当である。

六、結論

以上により、被告らは各自、原告らに対し各金六、〇五五、八〇三円宛および右各金員に対する本件不法行為による損害発生後である昭和三九年一〇月五日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべく、原告らの本訴請求は右の限度で正当として認容し、原告らのその余の請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行ならびに同免脱の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 亀井左取 谷水央 大喜多啓光)

別紙(一) 損害算定表

〈省略〉

別紙(二) 損害算定表

〈省略〉

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